「絵を描くことが好き」
「漫画を読むこと、描くことが好き」
「鳥が好き」
「植物が好き」
「音楽が好き」
「自分の事が嫌い」
「自分の事で唯一好きなところは、両親からもらった名前」
10代~30代半ばまで、自分の事で知っていることといえば、これくらいだったように思います。
自分が何者か、わからない
人に影響されやすく、なんでも鵜呑みにするわたしは、特に20代のころは、自分でも自分が何を考えているのか、どうしたいのかわからず過ごしていました。
自分の事が嫌いだったので(特に醜い容姿・自分が何を考えているのかわからない・どうしたいのかわからない・考えていることを表に出せない)そもそも自分と向き合おうとしていなかったと、今では理解しています。
自分を知る方法って何だろう?
そんなわたしが、自分はこういう人間だったんだと知るようになったのは
「自分・家族以外の人と交流すること」
わたしにとっては、これが一番の方法でした。
今思うと、自分にとっての「自分の事が嫌い」というのは「自分かわいさ」「傷付きたくない」の裏返しだと感じますし、自分で考え、選択することを放棄し続けていたんだと感じています。
自分の人生なのに、無責任ですよね。
この無責任さの集大成が、わたしは「漫画家」という職業になったんだと感じています。自分以外の誰かに気持ちを伝えられないかわりに、全て「漫画」に乗せて発信していました。
無責任を受けとめ続けてくれた漫画には、本当に感謝です。
自分は「変な人」だった
結婚という境目を区切りに、わたしの交流関係は大きく変化しました。まずは、何より全く価値観の違う旦那さんと「家族」になったこと。
それからご縁あって、異業種の交流会の会員となり、様々な価値観の方々の考えに触れることが出来たこと。
わたしがずっと描いてきたBL(ボーイズラブ)の漫画を面と向かって笑いながら「気持ち悪い」という方もいらっしゃいましたし、結婚できたことを「旦那さんは年齢を考えて仕方なく妥協したんじゃない?」という方もいらっしゃいました。「女性がビジネスを本気でやっていると思えない」といわれたこともあり、
こう書いて並べてみると、すごいな、なかなかだなぁと思いますが、全て自分がこの状況を作っていたと、今ではハッキリとわかります。
これ、全部「そうですね」「その通りですね」なんて受け取っていたらたまったもんじゃありません。
ちなみに、当時のわたしは、上記の言葉に対して返す言葉が見つからず、ていねいに心の風呂敷に言葉を包み、自宅に持ち帰り、
なんで????!!!!!!
と、風呂敷をあけつつ泣きながら自問自答したものです。
やっとわたしは、様々な方々と交流させていただくことで
「自分はこれは嫌だな」
「これは苦手だな」
「これは無理だな」
という線引きができるようになったんです。アラフォー近くなってやっと??!!という感じですが、わりと最近の話です。
ようやく、断ること、自分の考えを言うこと、嫌なことはやらないことを選択できるようになりました。…時間かかったね。
わたしは、そこから自分は変な人なんだなぁという認識を始めました。
いや、もしかしたら、どこも変な人じゃない人はこの世にいないのかもしれない。そもそも「変」の定義って何よ?って話ですが。
価値観の偏りを知る
価値観は人それぞれ様々だと思います。それでいいとわたしは思っています。
わたしにとっての「変」は、偏った考え方、価値観ではないかと考えます。でも、それが「個性」でもあると思うのです。
その中でも、わたしがやりたくないなと思うことは、
「一方的な価値観の押し付け」
「価値観の違いで争いを起こす」
「価値観の全否定」
いいことは起こらないんじゃないかと、わたしは感じます。先日の靖国神社参拝から遊就館に行ったときも、強く感じました。
いろんな価値観、考え方があることを知ることが重要で、その上で価値観が合わない人とは、攻撃するのではなく距離をとればいいと思いますし、一緒に過ごしたい人、大切にしたい人との時間をより大事にすることが、より自分らしさを伸ばすことができると思いますし、自分を知ることに繋がるのではないかと思います。
40歳を越えて、やっと自分を知る手がかりを掴みました。
自分が何者かわからない方へ、何かヒントになったらいいなと願って。